事業承継から読み解くコスモスLAB.vol1:恵藤計器株式会社(前編)「事業承継はビジネス発展のチャンス。もがいた日々の先に見つけた、従業員との信頼関係。」

恵藤計器株式会社
代表取締役社長 瀬口力也氏
会社概要
会社名 恵藤計器株式会社
代表取締役社長 瀬口 力也
所在地 本社・工場 千葉市美浜区新港142番地3
設立日 1950年3月16日
資本金 2,400万円
事業内容 計量器全般の販売・はかりの製造・修理・保守管理
ISO9000, GMP, GLP, GCP, HACCP対応の校正業務
代検査(公的検査に代わる計量士による検査業務)
JCSS対応の分銅校正・はかりの校正・校正証明書発行
HP https://www.etokeiki.co.jp/

「『事業承継』というフィルターを通すと多くの学びや気づきがあり、ビジネスやマネジメントがもっとオモシロクなる」がコンセプトの新企画。

事業後継者育成を目的とした「ちば興銀『コスモス経営塾』」を卒業し、実際に事業承継をされた方々にインタビューを行い、さまざまな分野で活躍される経営者の体験談や経営術を発信します。経営に興味のある方、事業承継を検討されている方に、ここでしか手に入らない生きた情報をお届けいたします。

記念すべき第一回のゲストは、千葉市美浜区で業務用計量器(はかり)の販売・メンテナンスを手掛ける恵藤計器株式会社(以下、株式会社省略)の4代目、瀬口力也社長。大手移動体通信企業の営業職から、娘婿として地場で設立70周年を超える老舗企業の後継ぎとなった、異色のキャリアの持ち主です。

事業承継はビジネス発展のチャンス。もがいた日々の先に見つけた、従業員との信頼関係。

恵藤計器は、千葉県内を中心に500社以上の既存顧客を持ち、特に京葉工業地域の石油化学コンビナート企業を主要な取引先としている。質量をはかる「はかり」は、商取引や各種製造における調合・配合、化学分析などあらゆる分野に関わっており、適正な計量を確保するためには定期的なメンテナンスが欠かせない。また計量法という法律により、取引・証明に使用するはかり(特定計量器)は2年に1回の定期検査が義務付けられている。

はかりの保守・メンテナンスは、メーカーの技術員が担当していることが多いが、メーカーからすれば、本業でない保守・メンテナンス業務を請け負う負担が大きく、顧客は、費用も高くスピーディーな対応やきめ細かいのフォローの無い現状に、ヤキモキしている。「ここにウチが入り込む余地がある」と瀬口社長は意気込む。

「当社はメーカーを問わずに販売もメンテナンスも機器の状態管理もできる。カーディーラーのように、一度はかりを購入いただければ、定期メンテナンスや保守、修理等で継続的にお付き合いいただける、LTV(ライフタイムバリュー)を高めやすいビジネスモデルとなっている」

販売のみ、製造のみを行っている企業はあっても、はかりのことを一気通貫で「丸投げ」して任せられる会社は商圏内にはほとんどない。瀬口社長は、新規顧客の開拓ができれば、市場を独占できるポジショニングであると考えている。

新規顧客開拓は、以前は既存顧客やメーカーからの紹介がほとんどだった。口コミで経営が成り立つ状況は喜ばしいが、ビジネスの発展や大きな成長を見込むことは難しく、営業戦略を考える必要があった。千葉興業銀行の担当者も1年以上伴走し、面談資料はかなりのボリュームになったという。

「(担当者の)石橋さんはフルスペックで相談できる方。信頼している。」

戦略の1つがwebサイトのリニューアルで、社員を巻き込んで企画を立てていった。企業PR動画を撮影し、デザインやページ構成も細部までこだわり抜いた。時間はかかったが、現在はwebからの流入が紹介を上回るようになってきた。

瀬口社長自らさまざまな団体に顔を出し、地道な草の根活動も続けている。

「入社して7年半、ようやく道筋が見えてきました。実は、事業承継の最初の一歩で躓いてしまい、日々、もがき続けていたんです。」

紆余曲折を経てたどり着いた、「後継者に必要な素地」とは。瀬口社長の軌跡をたどる。

順調な会社員生活。事業承継は一切考えていなかった。

-事業承継のキッカケを教えてください。

恵藤計器は、妻の父が3代目社長として経営していた会社です。代々直系承継で、婿として継ぐのは私が初めてになります。妻とは社会に出てすぐに付き合い、家業があるとはなんとなく聞いていたのですが、妻が4人姉妹の3番目だったこともあり、正直当時は「ふーん」くらいにしか思っていませんでした。

そして結婚することになり、妻の両親に挨拶に行ったら「結婚はOKなんだけど、会社を継いで欲しい」と。ずるいタイミングでしょう。(笑)当時は前職での仕事も順調で全く想像できなかったので、「ありがたいお話しですが、考えられません」と正直に断りました。

その後3年くらい、顔を合わすたびに「そろそろ考えてくれた?」と言われました。特にお義母さんの押しが強かったですね。言われ続けるうちに、だんだんと「会社を継ぐのもありなのかな」と思うようになりました。

そう考えるようになったのは、当時の仕事の影響も大きかった。それが、とてもタフで、面白くて。当時勤めていた大手移動体通信企業が、海外展開の一環でインドの財閥系通信会社に出資して事業を展開していたのですが、この事業がうまくいっておらず、テコ入れのための社内プロジェクトにアサインされました。

1回の出張で2週間ほどインドに滞在し、灼熱の気候のなか市場調査を行い、自分より知識も経歴も年齢も上の、州のトップとテコ入れ策の交渉をして帰ってくる…という仕事をしていました。2年間で15回くらいはインドに行きましたね。

出張中は寝る間もないくらいで、とてもしんどかったですが、確たる成長の実感がありましたし、その仕事を通して、自分が望む環境とは「自分の力が通用しないところでストレッチされて成長できる環境」なのかなと思うようになりました。義母の話とセットになって、「自分が失敗すれば会社も倒れてしまうような、中小企業に飛び込む挑戦もいいのかな」と。

当時の同僚には驚かれましたし、今でも時々、あのまま前職にいたらどうなっていたのかな、と思う時はあります。仕事も仲間も好きでしたから、大事なキャリアを「捨ててしまう」感覚はとてもありましたね。妻も、家庭の安定を考えるとできれば継いで欲しくなかったのではないでしょうか。実の両親も、バブル崩壊で勤めていた中小企業が潰れる経験をしているので、とても複雑だったと思います。それでも、私の成長意欲が勝ち、事業承継という道を選びました。

キャリアを捨てて挑んだ事業承継。ぶつかる現実。

先代とは事業承継を見据えた転職という話だったので、入社したタイミングで専務取締役というポジションになり、すぐにマネジメントサイドにつきました。今まで大企業にいたこともあり、物事を俯瞰して構造的に分析するのは得意でした。なので、現場で何が起こっていて、どんなことを従業員ががんばっていて、何がクライアントに対する価値なのかなど、入社1、2カ月程で大まかには理解できました。同時に改善箇所も見えてきました。

当時の私が犯した失敗は、自分だけがわかった状態で、理屈のみで進めようとしたことです。それが従業員の感情を置き去りにしていたなんて思ってもみませんでしたね。

例えばロジカルに分析した資料をもとに、「恵藤計器のここがよくて、ここがウィークポイントだから、ここをこのように頑張ろう」と従業員の前でプレゼンを行ったこともありました。まだまだ獲得していないマーケットニーズは大きいから、ちょっと高度な分野に取り組めれば、売上を倍にだってできる、と。でも、誰も聞いてくれない。突然現れた婿に自分達のこれまでの仕事を否定されるんですから、今考えるとそりゃそうだと思いますが、当時はそれが正しい方法だと信じていました。「正しい論理をもとに、会社を良くする方法を伝えて、何が問題なんだろう。私が求められていることはこれだろう」と。

入社する前、先代からは「従業員も取引先も、待望の後継者をみんなが待っている!大歓迎だ!」と聞かされていたので、思っていた反応とはだいぶ違いました。でも、先代の言葉も嘘ではないんです。従業員にとっては、自分達の望んでいる後継者、つまり「今までと同じ仕事をして、給与を上げてくれる」後継者を待っていたんです。

それなのに、私は仕事のダメなところとか、新しいことを覚えてくれとか…。彼ら彼女らからしたら、「一緒に働いてもいない、一滴の汗もかいていないのに…余計なことを言ってくる人を待っていたわけではない!」ということですね。

しばらくは、会社の雰囲気が最悪でした。誰も口をききたがらないし、自分が顔を出すとみんなサーっとどこかに行ってしまう。挨拶も返してくれない人がいたり、「会社が潰れたら転職先紹介してください」と、面と向かって言われたりしたこともありました。

もがき続ける日々。必要なのは、「お互いを知ること」だった。

-どのくらいでこれはまずいと気づきましたか?

本格的にまずいな、と思ったのは入社1年後くらいですね。大事なものを捨てて、覚悟をもって入社したのに何やってんだろう、って。

現状を変えなければと気づいてからは、中小企業診断士の資格を取ったり、大学院に通ってMBAを取得したりと経営まわりの知識を習得しましたが、当時抱えていた「人と組織に対しての問題」を解決する決定打ではなかったと思います。ただ、もがいていただけです。

入社して7年半。今も発展途上ですが、ひび割れた組織の溝を少しずつ埋めてきたのは、「対話」…だと思います。私を含め、やはり人間は感情の生き物です。最低限の人格的な信頼を得ていないと、言っていることがまっとうでもロジカルでも聞いてくれない、聞きたくないんです。私は人としての信頼という土壌を作らずに理屈から入ろうとしてしまった。

そこで、年に2回、全社員と一対一で対話する機会を設けることにしたんです。長い人だと1人1時間半くらいかかりますが、それを2年くらい続けてきたところで、だんだんと雰囲気が変わってきました。

やり始めた当初は話なんてしてくれませんから、ひたすら自分の想いを語るしかないですよね。私は会社を良くしたいと思っている。そのためにもっと意義ややりがいのある仕事を増やし、会社を成長させたい。結果的に、従業員の皆さんにも良いことがあるんだよ、というのをとにかく伝えました。

始めは辛辣なことも相当言われましたよ。「後継者が会社を潰した例を知っているから、うちはそうならないといいな」とか、「(当時)専務の言うことは基本的にはみんな無視してますよ」とか。

-自分の悪口を聞き続けたのですね…

正直、食事が喉を通らなくなりました。でも、大事なのは逃げないことではないでしょうか。全部がみんなの思うようにできるかはわからないけど、とにかく聞きます、という姿勢を見せるようにしていました。

私に対するクレームをメモして持ってくる従業員もいて、「あいつに言ってやんなきゃだめだ!」って。(笑)でも、経営者と違って、従業員はイヤなら転職するという選択肢がある。それをしないで私に面と向かって文句を言ってくれるのは、会社のことを思ってくれているということなんです。実際に、面と向かって辛辣なことを言ってきた従業員は、今も結構残ってくれていたりします。

-承継されて人の入れ替わりや組織の変化はいかがでしたか?

年齢層が高く定年になった方も多いので…、割合にすると約半数が以前からいる人、もう半数が新しい方ですね。新しい方は私が面談して採用していますが、配属チームの空気がよくないとその雰囲気に引っ張られて染まってしまうかすぐに辞めてしまうので、単に人を入れ替えればいいという話ではないんです。

組織が良くなっていくのって、一斉に変わるのではなく、部門や階層ごとに濃淡がありながら、時間をかけて徐々に変わっていく。誰かを入れればガラッと変わるみたいな、短期的な特効薬はないと思います。

従業員一人ひとりの個性があり、それぞれが持っている「あるべき組織像」や「あるべきリーダーシップ像」も違う。だから同じことを言っても響き方が違うし、みんなが一斉に変わることは無い。

組織風土や組織文化は、従業員にとって職場で働く前提条件なので、「うちの会社はこういうものだ」という空気に染まっています。だから従業員側から組織変革が起きることを期待はできません。変革をしようと思ったら、トップマネジメントが覚悟をもってやりきらないとできないと思います。

また、変えようとすると社内から抵抗が出ます。大半の従業員は必要だと思っていないのだからそれが自然な反応です。最初はいくら押しても全然動かない。けど、あきらめずに押し続けると、そのうち少しずつ変わってきて、どこかで勢いがつくとブレイクスルーして一気に変わり始めて、二次関数みたいに上がっていく。「ビジョナリーカンパニー」にある「弾み車の法則」のような感じです。

私の場合も、入社してしばらくは「新しいことにチャレンジできるようになろう」と言っても「何言ってんの?」という反応でした。でも、同じことを言い続けているとだんだんわかってくれる人が増えてきて、過半数になると、そちらの意見がマジョリティーになって変革に加速がついてくる。

当社は、今その時期に差し掛かってきていると思います。

-承継時、クライアントとの関係はいかがでしたか?

クライアントに関しては、顧客離れなどはまったく起きず、スムーズに引継ぎさせていただいた印象です。従業員が素晴らしいんだと思います。後継者とうまくいっていなくても、現場に出ている営業担当とサービス担当が誠実に礼儀正しく仕事をしていたんですね。

「新しくきた後継者気にくわないんだよねー」みたいな話は現場でしていたと思いますよ。(笑)でもやるべきことはプロとしてきちんとしてくれていた。

-先代の人柄のおかげでしょうか。

代々、でしょうね。先代は仏様みたいな人なんですよ。私の前の代までは創業家(恵藤家)の方々が真面目に実直に、目立った拡大も縮小もせず粛々とやってきたという感じだったのかな。だからそういう組織風土で育った社員たちですね。

そういう方々が経営してきた会社なので信頼、歴史、伝統、誠実、礼儀正しさはキッチリしていました。その分、自分たちが手に負えないことに手を出すことの抵抗感、うまくいかなくて恥をかきたくないという職人気質が強かった。だから、「できなくても失敗しても会社が責任取って俺が謝るから、やってみてよ」と言い続けています。

DIRECTOR:YUSUKE TOSHI(日本企画)
WRITER:CHIAKI NAKAMURA(株式会社KiU)
PHOTO:YASUO HONMA(本間組)