事業承継から読み解くコスモスLAB.vol1:恵藤計器株式会社(後編)「苦しい経験が、自分のミッションを照らしてくれた。人の心に火をつけ続ける存在へ。」

恵藤計器株式会社
代表取締役社長 瀬口力也氏
会社概要
会社名 恵藤計器株式会社
代表取締役社長 瀬口 力也
所在地 本社・工場 千葉市美浜区新港142番地3
設立日 1950年3月16日
資本金 2,400万円
事業内容 計量器全般の販売・はかりの製造・修理・保守管理
ISO9000, GMP, GLP, GCP, HACCP対応の校正業務
代検査(公的検査に代わる計量士による検査業務)
JCSS対応の分銅校正・はかりの校正・校正証明書発行
HP https://www.etokeiki.co.jp/

「『事業承継』というフィルターを通すと多くの学びや気づきがあり、ビジネスやマネジメントがもっとオモシロクなる」がコンセプトの新企画。

事業後継者育成を目的とした「ちば興銀『コスモス経営塾』」を卒業し、実際に事業承継をされた方々にインタビューを行い、さまざまな分野で活躍される経営者の体験談や経営術を発信します。経営に興味のある方、事業承継を検討されている方に、ここでしか手に入らない生きた情報をお届けいたします。

記念すべき第一回のゲストは、千葉市美浜区で業務用計量器(はかり)の販売・メンテナンスを手掛ける恵藤計器株式会社(以下、株式会社省略)の4代目、瀬口力也社長。大手移動体通信企業の営業職から、娘婿として地場で設立70周年を超える老舗企業の後継ぎとなった、異色のキャリアの持ち主です。

苦しい経験が、自分のミッションを照らしてくれた。人の心に火をつけ続ける存在へ。

入社してすぐに従業員との軋轢が発生し、2年以上かけて少しずつ関係性を構築していった瀬口社長。中小企業診断士やMBAを修得するなど、持ち前の向上心と努力で経営のプロフェッショナルとなっていくが、従業員と融和していく一番のキッカケとなったのは、「対話」だったと言う。

-前回、従業員との対話によりじっくりと関係を修復していったお話しを伺いました。瀬口社長が従業員に受け入れられた、認められたと感じた具体的なエピソードはありますか?

…「認められた」、というのは難しいですね。うーん、私自身が認められたかは別として、先日、少しずつ形になってきているな、と実感できたことがありました。

社内で「ビジョン推進PT(プロジェクトチーム)」と、「5SPT」の2つの組織外活動を行っています。「ビジョン推進PT」は社内の理念やビジョン、社員のありたい姿などを実現するための施策を考えるPT、「5SPT」は一般的な5S活動に加え、災害対策なども請け負ってもらっているPTです。

これも、3年ほど前に私が発端となって始めて、リーダーに中堅社員を置いたのですが、当初は「何それ?」「仕事が忙しいのに…」という雰囲気で、まぁ機能しなくて…。従業員からすると実務に関係ないことをやらされているという意識なのですから仕方ありません。

でも、粘り強く続けました。その結果、最近社内ミーティングに顔を出した時に、リーダーを任せた彼らが「PTからのお知らせです」「4月から社員表彰制度が始まりますが意見はありますか?」「災害対策用に備蓄を用意しますが何がいいですか?」と、自然に振舞っていたんです。彼らが、「PTのリーダー」という役割を受け入れてくれて、組織横断的な取り組みが自走し始めたことを感じました。

自分の代になって始めた取り組みが形になりはじめた象徴的なできごととして、感慨深いものがありましたね。

恵藤計器の「共通善」を社員全員が持てるようにしていきたい。

-自走する組織にはビジョンの共有や理念の浸透が不可欠だと思いますが、御社にも明確な理念があるのでしょうか。

経営理念は「「はかる」を通じて、豊かな暮らしづくりのお手伝いをします。」です。昨年度から今年度にかけて「プロフェッショナルな個人×壁のない組織」という共有ビジョン、会社の理想の姿をつくりました。

また、会社としても、個人的にも、特に大事にしたい価値観は「人を育てる」です。

言葉として掲げ、いろいろなところで言っていますが、浸透しているかと言うとまだまだ道半ばです。

社長を継いで約4年が経ち、ある程度経営を俯瞰できるようになりましたが、目指すべきは「全員経営」なんだと思います。きれいごとではなく、科学的に考えてもそう。うちのビジネスに起こる出来事の全てを社長が把握して判断するなんてことは到底できないから、仕事の現場に判断を委ねていくしかない。

現場でクライアントと直に触れる営業担当やサービス担当が、対面あるいは電話やメールのやりとりの中で「恵藤計器としてはこうするべきだ」「社長ならこう考えるだろう」と、即興で自発的に判断し、その場で、「恵藤計器らしい」対応ができるようになれば、組織として強くなると思います。

そのためには、「恵藤計器」として何がよいことなのか、みんなが「恵藤計器の共通善」を判断軸として持っていないといけない。

東京ディズニーランドのキャストは、「お客さんが求める夢の国の対応」を理解していますよね。だから、共通の振る舞いができる。それぞれがバラバラの価値判断軸を持っていたら、対応もバラバラになってしまうでしょう。

当社の価値判断軸となるのが、先ほど挙げた基本的な考え方、理念や価値観などです。「クライアントのお手伝いをするために自分がいる」「自分の提案はお客様の生産性をあげるために行う」「自分の言動は、新人を育てることにつながっているのか?」など、全員が末端まで、当社にとっての「良いこと」に照らした自分の役割を理解して動けるようになれば、全員経営の強い組織になると思っています。

現在、考え方の浸透をしつつ、ここ2年くらいはエンパワーメント(権限委譲)を進めています。もちろん、会社として目指していくべき数値目標の設定や、経営の最終責任は私が受け持つのですが、日々の実務をどのように回していくかは「みなさんに任せる」と。

-「人を育てる」土壌は、保守的な職人気質の風土だとなかなか醸成が難しいのでは?

「暗黙知」をいかに移転可能な「形式知」に変換してナレッジとして蓄積できるか、そして「暗黙知」のなかでも形式知化が難しいものについてはいかに「暗黙知」のまま共有できるか、の二つがカギだと思っています。はかりに関する職人的な技能はまさに恵藤計器の歴史そのもので、簡単にすべてを可視化できるものではありません。

一般論として、「腕自慢」の職人的な人材は、若手に何をどのように教えるべきか、言葉にして説明する力が弱い。また、自分が持っている「価値ある技術や情報」とは何なのか、自分自身が認識できていない場合も多い。

ベテランが当たり前にやっていることも、若手にとっては目からウロコのすごい発見になるものです。また、そもそもベテランが、全てを教えて本気で育てようなどとはなかなか思わない。なぜなら、自分と若手に技能の差があることが、組織内で自分が「大きな顔」ができる力の源泉だからです。わざわざ自分と同じことができる人を育成するインセンティブがありません。

結果、「背中を見て覚えろ」「わからないことがあったら聞け」ということになる。若手からすると、「何がわからないのかがわからない」状態なので、これは辛い。

完璧な解決策とは思いませんが、当社では、新人が入って一定期間経ったら、3カ月くらい毎日特定のベテランに張り付け続ける研修をしています。

その間、ベテランの仕事ぶりについて「視た」ことを言語化して定着させるために、簡単なフレームワークで日報を書いてもらっています。そうすると新人は学習したことが頭に残るし、書き溜めた日報は形式知となって、次の世代向けのマニュアルになるんです。

また、非合理的なくらいの期間、朝から晩まで張り付いて一緒に行動することで、意図せず「暗黙知のまま」技能が共有されてしまう効果があります。同じ現場を経験し、人間的なつながりや信頼関係ができることで、ベテラン職人が抱えこんでいる言語化が難しい技能も学び取れたり、聞かれたらつい深いところまで教えてしまったりするわけです。

まだその会社で言語化されていない「職人だけがもつセンス」のようなものを、徹底的に視て、可能な限り言語化・スキル化を行って蓄積するとともに、「暗黙知」にとどまるものは「暗黙知」のまま共有する。

そうしている間に、ハイレベルな職人は新たな「暗黙知」を社外から獲得し、それにまた別の人が張り付くというループを続けることで、組織としての育成能力が錬磨されていく気がします。

-それが蓄積されると、全員経営が実現していきそうですね。

私がいなくても組織が回るようにしたいですね。オーナーとしての責任は果たし続けますが、社長は別の人がやってくれても構わない。たとえば恵藤計器に入社した人の中から社長が生まれれば、その人はこの会社で育ったからこそ社長になる機会を得られたことになる。

全員経営を実現するには、価値判断軸となる考え方をきっちり浸透させることと、自律的に思考する訓練が絶対的に必要です。たとえば「恵藤計器としてはこう判断すべきだ」という考えの元、個人が意思決定してアクションする。その結果が間違っていたとしてもそこで折れないで、反省し「それじゃあ、次はこうしよう」と前向きに改善に向かい、だんだんと「共通善」に近づいていく。これは、訓練をしないと身に付かないものです。そのためには、社長は必要がない意思決定からできるだけ退いて、従業員に任せていくべきだと思っています。

大変なとき、背中を押してくれる存在がいれば、「もうちょっとがんばってみようかな」と思えるようになる。

-瀬口社長ご自身は、さらに向こうを見据えている印象です。

「人の心に火をつけ続ける」という、私が自覚している人生のミッションがあります。この「心に火をつける」とは、叱咤して限界を超えさせるとか、上から何かを教え諭すようなものではありません。種火をそっと灯す、または人の可能性が花開くよう背中を押す、といった「ほんの一助」のイメージです。

人の心に火をつけたからといって私が得するわけではなく、「なぜそれをやりたいのか?」と聞かれると、ただやりたいというだけで、そこから先は何もないんですが…。

さっきお話したように、人と組織に悩んでいる時期があってひたすら内省していたんです。「こんなに嫌がられてるのになんで継いだんだろう」「キャリアを捨てて、債務の連帯保証人になって、両親も心配していて、会社が潰れたら路頭に迷うリスクを背負ってるのに、従業員に挨拶されないくらい嫌われて…」「なんでこんなことやってるんだろう」「そもそも、私は何がやりたいんだろう」「私は何のために生きてるんだろう」と何層も何層も掘り下げて考えていたら、あるとき「私は、人の心に火をつけ続けたいんだな」「そのために生きていて、経営はその手段なんだな」と気づいたんです。

それをして何を得られるかというより、たまたま私がそういう風に育ってしまった。恐らく、死ぬまで自分なりに人の心に火をつけ続けて「色んな人に火をつけられたかな」と思いながら最期を迎えると思います。

-原体験があるのですか?

物心ついたらそうなっていた、というのが正直なところですが、象徴的な出来事はいくつかありました。

私は小学生から高校生までテニスに打ち込んでいて、行きたかった高校にはスポーツ推薦で入る予定だったんです。ただそれが直前でダメになってしまった。当時の私の学力では到底合格は難しい進学校だったのですが、悔しくてあきらめきれずにいたら、母が一言、「あなたならできるんじゃない」と言ってくれたことがキッカケで、入試に挑戦し想いを遂げることができました。母はクールな人でしたが、いつも私の可能性を信じていました。

人間の成功と失敗なんて紙一重で、小さい頃は仲間内でスターだった人が受験で挫折する、仕事を始めたら上手くいかなくなるなど、何かの拍子にうまくいかなくなる。ひとつ間違えれば私も転がり落ちていたかもしれないし、そういうことは意外と身近に多々あると思っています。

人間は弱くて、自分に甘くて、不合理な生き物です。多くの人は「だいたいこんなもんか」の枠の中で生きている。でも、本当は、一度きりの人生をもっと、最高に充実させることもできるはずだから、自然にその人に寄り添って、「もうちょっとがんばってみようかな」と思わせる人がいた方がいいんじゃないかな。自分がそうありたいですね。

長くなりましたが、ミッション(目的)が「人の心に火をつけ続けること」なので、そのほかは全部手段なんです。今、恵藤計器を経営していることも主要な手段の一つ。もちろん命を燃やして経営をしていますが、一生この会社を経営するためにだけ生きているわけではないということです。

今考えていることの一つに、当社で取り組んでいる組織改革が実を結び、全員経営ができるようになれば、同じことを他の中小企業で生かせるのではということがあります。

理念やビジョンなど、会社としての共通善をしっかり決めて社内に浸透させて、人を育てる仕組みをつくり、ミドルマネジメントを育成し、権限委譲して商売がうまく回るようになれば自分は退いて自走化させていくという、この組織発展のパターンは色んな会社で適用できると思っています。これを恵藤計器できちんと実現させ、自分の時間が割けるようになったら、別の企業でもチャレンジしてみたいですね。

事業承継につまずいた自分だからこそ、できるアドバイスがある。

あとは、後継者支援をやりたいと思っています。私のように後継者と従業員の関係構築がうまくいかないとき、うちの従業員はたまたま現場で誠実に作業してくれていたからよかったものの、場合によっては職場放棄されることだってありえます。その間は確実に意思決定のパフォーマンスは下がりますし、うまくいっていたビジネスが破綻する可能性だってあります。

後継者は特殊で孤独な立場です。大きなリスクとプレッシャーを背負っているし、既存組織のヒエラルキーや既得権益と向き合い、先代の意向も汲み取りながら、摩擦をできるだけ少なくして組織に入っていかないといけないんです。多くの中小企業で後継者は「割に合わない」立場でしょう。

世の中の後継者に対して、私の反省や経験を踏まえて、従業員からの信頼を得るために後継者がとるべき言動をお伝えしたり、代替わりまでに準備しておくべきポイントをアドバイスしたり、シンプルに愚痴を聞いたり、いろいろな貢献ができるのでは、と思っています。

-たくさんあると思いますが、事業承継される方へのアドバイスをお願いします。

たくさんあります。(笑)ソフト面では、事業承継を「自分ごと」として考えた方がよいですね。先代から「お前にやってほしい」と言われるその日を待ち、受け身で引き継ぐのではなく、「自分の会社に塗り替えるんだ」というマインドセットで向き合う。

「いつ継ぐんだ?」「継いだ後の人事はどうする?」「金融機関との面通しは?」「経営権はいつごろ渡す?」など、待つのではなく「私はこうしたい」と自分から取りに行った方がよいです。ただ、先代との関係性によって、コミュニケーションの取り方は工夫する必要がありますが。とある講習で、事業承継は「超友好的な乗っ取り」だと学びました。待ちの姿勢でいると、必ず言い訳がでます。「先代が○○してくれないからできない」と。

お金や株式、事業資産など、ハード面では、事業承継で気にすることは多岐に渡ります。多くの後継者は、足元の業績は把握していますが、それだけでは不十分だと思います。「今はよくてもこの会社のビジネスはサステナブルなんだろうか?」など、権利やビジネスモデルの継続性をきちっと自分と専門家を交えて話し合ったほうがよいでしょう。また、「株式をいつどのように移行するか?」「そもそも株主は誰なのか?」「納税資金はどうするか?」など、事業に直接関係ないことも気にする必要があります。

私の場合は、転職する前にいろいろな後継者に話を聞いて回りました。「会社を任せる」と言われたのに株式を2割しか持たされていない、とか、代表になっても経営権はずっと先代が握っている、といったパターンが多いことがわかったので、弁護士や税理士、中小企業診断士などにお願いしてハード面の準備は周到に行いました。

財務分析を行い、株式は私個人で過半数を持てるよう暦年贈与での譲渡計画を立てましたし、先代には「40歳になるまでに会社を代替わりしてください(でないと継ぎません)」と、きちんと伝えました。

中小企業診断士資格を持っていても、コスモス経営塾は有効だった。

株式や代替わり時期の準備は、私が娘婿だからスムーズにいったのかもしれません。星野リゾートの星野社長も「娘婿に継がせた方が会社は成長する」と仰っていますが、実子に継がせる場合は、親子の距離感が難しく、親の感情的に「子どもはまだまだだ」という思いが出てきてしまいなかなか退けなかったり、子どもから承継の話をすると「早くいなくなってほしいのか」などという感情論になってしまったりというパターンもあると聞きます。

私は事業承継が決まってから先代に勧められてコスモス経営塾に入りましたが、頼れる専門家や同じ境遇の仲間がたくさんいるので、承継を迷っているタイミングで入ってもよいかもしれません。

-コスモス経営塾で得られたことを教えてください。

私は、経営塾に入った時にはすでに中小企業診断士の資格を持っていたんですよ。そのため、知識としては既知が多かったのですが、最後に「会社をこのように改善します」というプレゼンテーションをする機会がありました。自社の中期戦略を銀行の幹部や専門家の前で発表するのはなかなかない貴重な経験でしたし、経営がより「自分ごと」になりました。「宣言したからにはやらないと!」という気持ちになります。

また、同じ境遇にいる後継者とネットワークをつくれたことも、当時の私にとっては非常に心強かった。入ってよかったと思っています。

そのお返しといいますか、今後は私が後継者の先輩として、千葉興銀さんと一緒にいろいろと伝えていければと計画しています。私は後継者を愛しています。崇高な存在だと思うんです。だって全てを背負うんですよ?だから力になりたいんです。

DIRECTOR:YUSUKE TOSHI(日本企画)
WRITER:CHIAKI NAKAMURA(株式会社KiU)
PHOTO:YASUO HONMA(本間組)