事業承継から読み解くコスモスLAB.vol5:三和総業株式会社(前編)
「娘が社長を継ぎます」と宣言されていた!?社員経由で承継を知った。

三和総業株式会社
代表取締役 小倉 理恵 氏
会社概要
会社名 三和総業株式会社
代表取締役 小倉 理恵
所在地 千葉県成田市東和田557
設立 1973年(昭和48年)5月29日
資本金 20,000千円
事業内容 ・ 総合設備工事及び電気工事・土木工事
・ 総合ビル管理並びに貯水槽の清掃・管理
・ 水処理プラント及び合併処理浄化槽設計、施工及び維持管理
HP https://sanwa-sogyo.net/

「『事業承継』というフィルターを通すと多くの学びや気づきがあり、ビジネスやマネジメントがもっとオモシロクなる」がコンセプトの当企画。事業後継者育成を目的とした「ちば興銀『コスモス経営塾』」を卒業し、実際に事業承継をされた方々にインタビューを行い、さまざまな分野で活躍される経営者の体験談や経営術を発信します。経営に興味のある方、事業承継を検討されている方に、ここでしか手に入らない生きた情報をお届けいたします。

今回のゲストは、1973年(昭和48年)創業、千葉県成田市で上下水道管引込や給排水衛生設備などの総合設備工事やビルメンテナンス・水処理装置設計・施工など生活インフラの維持に貢献する三和総業株式会社(以下、株式会社省略)の3代目、小倉理恵社長。前社長のご息女という立場ですが、当初、会社を継ぐという選択肢は全くなかったと言います。

(前編)「娘が社長を継ぎます」と宣言されていた!?社員経由で承継を知った。

「賀詞交歓会で『娘が社長を継ぎます』と言っているのを社員が聞いて、私のところに走ってきた光景を今でも覚えています。」

笑いながらそう話すのは、創業51年の歴史を誇る三和総業3代目の小倉理恵社長。グループ会社に入社して19年、役員になって3年経った年の新年早々の出来事だったという。

「自分が社長になるということは考えていなかったけれど、従業員と同じ目線で会社を見ていて、ここをこうしたい、こういう制度を入れたい。というのは心の中で何年も温めていたんです。それを実現できるのか、という気持ちもありました。」

承継して11年目、だんだんと目指す組織の姿に近づいてきたという。今だからこそ語れる胸の内とは-。

入社のキッカケは『忙しいから手伝って。』自分は期待されていなかった。

-事業承継のキッカケを教えてください。

正直、わかりません。先ほどお伝えしたように、賀詞交歓会で宣言されていたので。(笑)新卒で入社したのは大手電機メーカーの関連会社でした。バブル期最後の入社で、同期は47人いたのに、翌年から新卒が3人くらいしか入社しなくなってしまったんです。一番下でずっと忙しい状態が3年くらい続いて、心身ともに疲弊してしまい退職しました。

前職を退職して1カ月くらいゆっくりしようとしていたら、「忙しいから手伝って。」と、グループ会社の経理を手伝うようになったのが、当社に入社したキッカケです。

前職は社長室付けの人事総務部で、社会保険の手続きや管理、採用業務などを行っていました。それからずっと、結局社長になるまで、人事・総務・経理一筋でしたね。経営者になって振り返ると、人に関することやお金の流れを知っていて本当によかったと思います。

-では次期経営者として入社されたのではない?

違います!全然当てにされていなかったと思いますよ。入社してしばらくは、複数のグループ会社の経理を担当していました。本社の経理はもともと母が担当していたのですが、パソコンが広まってくると同時に母では対応が難しくなり、2006年に私が行うことになりました。

そうして2010年に取締役になって、少しずつ経営に携わるようになっていきました。決裁を行うことが増え、現会長である当時の社長の代わりに決算をするようになり、3年くらいで社長に就任することになりました。

やるしかない、決意が固まった。腹を決めたら、とにかく実行。

-賀詞交歓会で社長になると宣言されていたとのことですが、その後正式にオファーはありましたか?

ありました、さすがに。(笑)二人きりだと断られるのかと思ったのか、私の第二の父のような会計士の先生と3人で話し合いました。父には「やるしかないでしょう、他に誰がやるの。」と言われ、私自身も「もうやるしかないのかな。」という思いでした。

やるとなったら、後は自分がやりたいことをやろうと決意し、当時感じていた経営指針書が浸透していないという課題を克服する取り組みを、就任一年目からスタートしました。経営指針書には、共有価値やそれに沿った行動指針などが記載されているのですが、うまく生かされていない状況でした。

どうして浸透しないんだろうと考えた時、会社の目指す「あるべき姿」が経営指針書であるのに指針書に沿った行動が評価される仕組みがないからだと気づきました。実際、社員からも評価基準がないから給与が上がっていく将来が描けないという声も挙がっていました。なので、経営指針書を生かして、日々の姿勢を鑑み、きちんと取り組んでいる人、真面目に働いている人がきちんと評価される仕組みをつくろうと評価基準を作成しました。評価は、その年の冬の賞与から反映しました。

-従業員から反発はなかったですか?

それが、意外とみんな言った通りにやってくれたんですよね。一部、「そんなのやんなくていいよ。」って言っている人はいたようなのですが、真面目な人がちゃんと評価されればね。減点方式ではなく加点方式にしたので、結局きちんとやっていれば誰も損しない仕組みだったんです。その年からガラッと全員が変わったわけではないですけど、徐々に変わっていきました。

ただ、今までなかった評価制度を作ったことによって、会社とは価値観が揃わないな、考え方が合わないな、という人は必然的に辞めていきました。それが従業員からの反発だったと言われればそうかもしれないけれど、共感してくれる人が残り、その制度をよいと思ってくれる人が入社してくれるようになったので、必要な痛みだったのだと思います。

180度変わった経営スタイル。先代に認められたかはまだわからない。

-先代、現会長の反応はいかがでしたか。

父は、創業3年目で代表になり、ほぼ一代で会社をこの規模に成長させました。努力や先を読む力はもちろん、カリスマ性もあると思います。数十年間、父が先頭に立ち、トップダウンで経営を続けてきました。

父は素晴らしいと思いますが、私はそのようにはできないし、根本的に経営に関する価値観も違います。先代としては、正直なところ不安だったと思いますよ。実際に何度か衝突もありました。

「社長は社内でちゃんと従業員を見ていなきゃだめだ」と、はじめのうちは私が会社にいないと呼び出しがかかったり。(笑)でも、私としては従業員一人一人が経営指針書に記載されていることを日々の業務に落とし込んで実行する姿を目指しているので、私が常に見ている必要はないと思っています。

人間って、考えて考えて行動したことを否定されたり、自分の意思とは違うことを言われ続けたりすると、次第に考えることをやめてしまうんですよね。それでは、指示待ち人間になってしまいます。私は、従業員が失敗しても次の経験に生かせればよいと思っているので、まずは自分で考えて行動させることを優先しています。

社長を継いで11年目を迎え、徐々に組織が変わっていって、先代が私に直接何か言ってくることはほとんどなくなりました。私のやり方を認めてくれているのか、言っても無駄だと思われているのか、それはわかりません。

DIRECTOR:HIROKAZU SUZUKI(日本企画)
      YUU WAKABAYASHI(日本企画)
WRITER:CHIAKI NAKAMURA(株式会社KiU)
PHOTO:SO KASHIWAGI(FILMIC)